得月亭
水戸藩の2代藩主光圀公(1628-1700)が水戸に帰られた折、家臣の忍穂利重の屋敷を訪れ、休まれた小亭が「得月亭」です。寛政3年(1791)春、「得月亭」は伊藤左一衛門徳明の所有となり、6代藩主治保公(1715-1805)が訪れました。治保公は水戸徳川家の中で文人として名高く、一説には、石州流の野村休盛に茶を学び、江戸千家の流祖・川上不白とも交流があったと伝えられます。「得月亭」で茶事を楽しんだ治保公は「得月」の二大字を破風の扁額に揮毫したといいます。
その後、「得月亭」は失われてしまいましたが、跡地に昭和24年(1949)、銀行家亀山甚氏(1885-1974)が新たに茶室を建てられました。亀山甚氏は、水戸徳川家13代公爵圀順公(1886-1969)とも親交が深く、京都より職人を招いて茶室「得月亭」を新築すると、圀順公を招きました。圀順公が治保公の例にならい、破風の扁額にと揮毫した「得月」の二大字を、亀山家では彫刻家の後藤清一氏(1893-1984)に依頼して扁額にしたと伝えられています。
こうしたご縁により、亀山甚氏のご長男であり、長い間財団の理事をお務めいただいた故・亀山利彦氏のご遺族から茶室「得月亭」を財団にご寄贈いただき、二年余りを費やして、かつて光圀公の茶室・高枕亭や九代齊昭公のお茶園が設けられた徳川ミュージアムの南庭園に移築しました。