国指定史跡・名勝 西山御殿
光圀の理想郷
元禄10年(1697)春、光圀は「世間の歳月の流れは私の知るところでない。なぜならこの山の中は別世界なのだから」と詠みました。この詩から、西山御殿は世俗から離れた光圀の理想の世界だったことが分かります。自然豊かで、穏やかな理想郷の中で光圀は晩年の日々を過ごしたのです。
Tokugawa Mitsukuni’s utopia
He admired the scenery here, composed poetry, and lived what he considered to be an ideal life.
元禄3年(1690年)水戸藩2代藩主徳川光圀公は家督を3代綱條公に譲り、同4年(1691)5月に栄華を極める江戸城を後に、光圀公自らが始められた「大日本史編纂事業」に生涯を捧げるべく、完成間もない西山御殿に移り棲まれました。同13年(1700年)12月6日、西山御殿の寝室で亡くなられるまでの10年間、編纂の傍ら多くの領民と親交を重ねられ、多くの人々から「黄門さま」と慕われました。
西山御殿は、光圀公の死後も遺徳を偲ぶ歴代藩主により守られてきましたが、残念ながら文化14年(1817年)の野火により焼失しました。その2年後の文政2年(1819年)8代藩主齊脩公により、規模を縮小して再建され、今日に至っています。
「西山御殿」と呼ばれたこの建物は、35万石藩主隠棲の地としての風格と、華美を嫌った光圀公の信条の融和を垣間見ることのできる仙境として、往時の面影をそのままに静に歳月を重ねています。国の史跡及び名勝に指定されました。
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