国指定史跡 水戸徳川家墓所

国指定史跡 水戸徳川家墓所

神道、儒学、仏教をそれぞれ尊びながら、
そのひとつの教えにとらわれない
尊神儒而駁神儒崇佛老而排佛老

寿蔵碑(じゅぞうひ)

元禄4年(1691)、光圀は衣冠束帯を土中に埋め、寿蔵碑を建てました。「寿蔵」とは生前に立てる墓のことです。光圀の号を取って碑の表には「梅里先生墓」と刻まれています。碑の陰文は光圀が自らの思いを綴った文章として有名です。碑陰文の「神儒を尊びて神儒を駁し、仏老を崇めて仏老を排す」という一節には、神道、儒学、仏教の三つの教えを尊びながら、同時にそのひとつにとらわれない、光圀の思想が表れています。

Monument “Bairi-Sensei,”  built by Mitsukuni.
Monument in which excerpts from Mitsukuni’s writings about his life are carved.

「生きている」史跡

“Living” historical site

350年の月日を経て今に至るまで、水戸德川家の歴代当主、夫人はこの地に葬られてきました。儒学の礼を基礎に日本の習俗を取り入れた独自の葬祭礼を受け継いでいます。日本だけでなく広く東アジアに視野を広げても、儒学を基礎とした広大な葬祭施設が継承されている事例はほかにありません。世界の研究者が「生きている史跡」水戸德川家墓所に深い関心を寄せています。
この墓所の変わらぬ価値―「墓所の構成と墓制」、「埋葬と祭祀」、「伝統と格式の継続」、「豊富な歴史資料の存在」、「景観と環境」は、史料調査や工事で得られた新しい知見とともに未来へ受け継がれていきます。

Even today, an original religious service is performed here by the Mito Tokugawa family.  Researchers in history and anthropology from around the world have shown a deep interest in this place.

水戸德川家墓所には初代頼房をはじめ、水戸德川家の歴代当主とその夫人、一族が眠る約200基の墓があります。15万㎡を超える我が国最大の規模を誇る大名家墓所で、今も水戸德川家独自の祭祀が受け継がれており、国の史跡に指定されています。

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